猫車通信

糸魚川ヒスイと稀少石のお店「猫車(nekoguruma)」by Jewellery Studio Ijeluna

糸魚川ヒスイ:入コン沢の青翡翠の勾玉

入コン沢の青翡翠

 

あっ、もう、セプテンバーですね。

 

残暑が厳しいような気がする中で強い勢力の台風が上陸、お江戸では強風が吹く程度で特に大きな影響はなかったものの関西方面では大きな被害が生じたようで改めて天候や自然災害の脅威を感じております。

 

お江戸は頻繁に地震が発生しているのですが、つい先日は激しい雷雨、ゲリラ豪雨があり、夏の暑さも厳しいなんて優しいものではなく激しく厳しい感じで、そういえば梅雨も異常に早く明けたなぁ・・・

 

ちゅ~ような諸々の事を考えると異常気象とか想定外とかみたいな感じではなく、もう異常気象とかが通常っていうか普通、想定外とかが予想範囲みたいな感じになってきておるような気がするのはあたしだけではない筈ですが、そうでもないの?

 

なんちゅ~かさ、ほれ、こう、時代のスピードとか変化のスピードが早過ぎちゃってさ、あたしみたいな老骨はスピードに付いていけていない。

 

スマフォだって特に必要としていないというか殆ど持ち歩いていないし、もう、それだけで世間の殆どの流れから外れてしまっている訳であるが、じゃ、FGOとかやろうかなぁ~とかLINEくらいは・・・とか思ったりする事もあったりしますけどね、実際のところ、今さらって感じだったりするような気がする・・・みたいな。

 

何かに興味を持つ、そして打ち込む、そこに拘る、てか、それが好き。

 

ちゅ~ようなスタンス、或いはタイプ、或いは何か分からないけどそんな何かがある、見付かったとするじゃん?

 

そして、それがハードとかソフトとか関係なく、日々是進歩、進化し続けているものではない、いや、日々是進歩、進化し続けているものであってもいい、どっちでもいい、ま、そうした何かがあったと仮定するとストップ、そこで止まる、留まる、そこで(その時点で)とっても深いところまで潜る、ディープな世界、マニアックな世界、ちゅ~ような世界で立ち止まって深淵を覗き込んでいる間に気が付けば世の中が一変している。

 

ちゅ~ような事ってない?

 

いやいや、それなりに好奇心とかはあってもですね、興味の対象とか好みとかってのもあるじゃん?

 

例えばですね、あたしは好きなものは多いんじゃないかと思う(そこは何と比較したらいいのか分からないから知らないけど)、でも好きなものは必ずしも最新、最先端、現在のトレンドではなかったりする訳ですが、例えばですね、そうだなぁ、音楽とかにしてみようか?

 

好きな音楽があったとしよう、或いは好きなミュージシャンでもいいんだけど、その音楽、或いはミュージシャンを好んでずっと聴いていた場合、最近の音楽とか新たに登場したミュージシャンに対する好奇心や興味より大なりであり、その好きな音楽やミュージシャンの楽曲を繰り返し聴くという感じになる訳である。

 

そうした場合、いや、もう解散しておるし・・・とか、もう死んじゃってるし・・・とかみたいな感じで時間の経過と共に過去のもの、古い音楽、昔のミュージシャンが好きという事になっていく訳ですが、ここまでは分かりますか?

 

ちゃんと話しに付いてきている?

 

大丈夫ですか?

 

ま、ちゅ~ような感じで、何にしてもポイントってのが存在するのではないかと考えている訳であるが、スマフォに関して言えば、あたしの場合はポケベルを経て、ガラケーがピーク、で、スマフォになるとオーバースペックというか、自由とは不自由の中に存在するものいうか、不自由な中に存在する自由というか、ちょっと何を書いてんだか分からないんだけど、何となく何を言いたいのか分かってもらえると嬉しい。

 

そして、何を言いたくて何を書けばいいのか教えてもらえると非常に助かる。

 

そのような時は気軽にLINEして下さい。

 

LINEのアカウントは持ってませんけど・・・

 

ちゅ~ような感じで便利な世の中になったものであるが、そこはエンドレスで次から次へと新しい何かが登場して普通って感じの感覚が変化する訳で、そのスピードと僕ちゃんのスピードがぴったり、その変化と僕ちゃんの変化が一致しているという事ではない。

 

世の中は変化するし、そのスピード感も時代性やジャンルなんかによって違うと思うのであるが、どこまで踊り続ければ音楽は止まるのか分からないので何となく、そう、まさに何となく、いや、ま、いいかなぁ~って思う事、イコール、それは興味を失う、或いは以前ほどの興味はない感じであると判断する事が可能ではないだろうか?

 

今、あたしは地味にFGOに興味を持っているのであるが、それにはスマフォを使う習慣というかスマフォに対する興味を持つ、そして実際に持ち歩くという習慣から始めなければならない。

 

とってもジレンマを感じる。

 

じゃ、FGOよりも興味のある事、もっと好きな事に時間や労力を費やす事の方が精神衛生上は好ましいのではなかろうか?

 

ちゅ~ような事を思って、好きなものを挙げてみるとジュエリー製作、宝石、腕時計、車というような事になり、その中で気軽で単純に遊びと考えるのであれば腕時計か車になる訳であるが、好きではあるものの現時点で具体的に欲しい腕時計や車がある訳でもないので、やっぱ、FGOでも始めようかなぁ~ってな感じになって何にも話しは進まないじゃん?

 

そんな感じで気が付けばセプテンバーになっておりました。

 

こちらからは以上です。

 

 

入コン沢の青翡翠を使った勾玉

入コン沢青ヒスイ勾玉

 

糸魚川ヒスイの中でも特に人気の高い入りコン沢の青翡翠は現在は殆ど採取できない稀少なタイプになる為、主に蒐集家さんや愛好家さんが過去に採取された原石が流通している訳ですが、その特徴は他の糸魚川ヒスイの青翡翠とは趣きが違った独特の青色をしている事と褐色の錆びが入っている事と淡い褐色を帯びた乳白色なんかになります。

 

普通に見た目が濃い青色をしたタイプは透光性が浅いものや透光性がない場合がありますが、原石にしても勾玉等の加工品にしても個々によって色合いや濃淡、錆びの入り方や淡い褐色を帯びた乳白色とのコントラストやバランスが異なるので好みでの判断となると思いますが、糸魚川ヒスイらしい質感と入りコン沢らしい存在感のある自然美を感じるものがいいんじゃないかしら?

 

特に勾玉に関しては、ルースや丸珠といった他の石材加工装飾品に比べてサイズが大きい、すなわち「キャンパス」が大きい事から単色のものよりも風合いや趣きを感じ易いと思います。

 

 

入コン沢の青翡翠勾玉

 

今回のブログに登場する入りコン沢の青翡翠を使った勾玉は全て新作商品になるので初のお披露目となっております。

 

この画像の勾玉は片面が主に青色の地に茶褐色の錆びが網目のように入っていて、もう片面は淡い褐色を帯びた乳白色と青色が混在した地に茶褐色の錆びが網目のように入っている豊かな表情が特徴となっています。

 

 

入コン沢の青ヒスイ

 

透光性は淡い褐色を帯びた乳白色の部分の方が深くなる為、青さと褐色を感じる幻想的な透光色となっています。

 

特徴的に石目は多いのですが、それも含めて独特の個性や自然美を感じられるのが入りコン沢の青翡翠ならではの魅力じゃないかしら?

 

 

入コン沢青翡翠

 

青地に茶褐色の錆びが網目状に入った面です。

 

入りコン沢の青翡翠を使った勾玉としては大き目のサイズ感になっており、一目見て入りコン沢と分かる特徴的な表情をしています。

 

 

入りコン沢の青翡翠

 

淡い褐色を帯びた乳白色と青色が混在した地に茶褐色の錆びが網目状に入った反対側の面ですが、この二面性というか明らかに違った表情を持っているにも関わらず、ひとつの勾玉として見事に調和しているのが製作された勾玉作家さんである源司さんのセンスなんですよね。

 

背景色が青っぽい灰色なので青色が引き立っていないのですが、実際は青色をもっと強く感じる作品となっています。

 

 

青翡翠

 

折角なので、もう一点だけ紹介しちゃいます!

 

こちらは浮世絵で描いた海の波を連想する圧倒的な存在感を持った大きな入りコン沢の青翡翠を使った勾玉になっております。

 

勾玉の頭の方は乳白色系の淡い青色で背中に掛けてお尻の方が透光性がない程の濃く鮮やかな青色をしているのですが、この勾玉を製作する為に貴重な入りコン沢の青翡翠の原石にどれだけのロスが生じるのか想像するだけで震えます・・・

 

ま~ま~無難に程々のものではなく、長年の経験や勘、それに源司さんの感性が思う存分に発揮されていて、いろいろな勾玉や勾玉作家さんを見てきた中でも別格というか、ま、あたしの好みとか感覚もありますが、素晴らしいとしか言葉にならなかったです。

 

 

糸魚川ヒスイ青翡翠

 

茶褐色の錆びも敢えて殆ど入らないように製作されているのですが、優し気で洗練された中にも圧倒的な迫力があります。

 

勾玉作家さんの中にも様々なタイプの方がおられますが、一流の職人の技術を持ったアーティスト、芸術家タイプの作家さんは少ないので毎回、作品を拝見する度に新たな驚きや底知れないセンスを感じているのです。

 

 

糸魚川翡翠青翡翠

 

透光性は深くて透光色は薄青色~青色となっているのですが、原石に対する造詣の深さであったり、審美眼であったり、製作技術やセンスだけでなく尊敬しまくっているのです。

 

以前はアメリカのインディアンジュエリーのアーティストさんの作品なんかを買い付けていたのですが、その時も同じような興奮とか期待とか驚きとかを感じる作家さんがいて、ちょっと懐かしさを感じながら素晴らしい作家さんや作品との出会いを改めて実感しているのです。

 

あたしも同じですが、ハンドメイドで量産性とか沢山の数を製作して販売しようと思っていないタイプの熟練の作家さんは徐々に高齢化、さらに生産性が低下・・・

 

もちろん、習得した技術やノウハウなんかを誰かに伝えて後継者に継いで貰いたい気持ちもあるような気もするのですが、ま、もう、そういう時代じゃないじゃん?

 

ちゅ~ような感じで、今回は久し振りに源司作の新作勾玉が手に入ったので、2~3回くらいのシリーズ連載みたいな感じで珍しくブログを連投しようかなぁ~って思っています。

 

ち~ゆ~。

 

 

ΦωΦ

 

 

本当に魅力的な勾玉を製作するよなぁ・・・

ΘεΘ

 

マジで素敵っす。

ΦωΦ

 

でも技術は残せてもセンスは引き継げないのところがブルー。

ΘεΘ

 

技術だって残せない場合が多いなりけり・・・

ΦωΦ

 

ま、それはそれでしゃ~ないっす。

ΘεΘ

 

達観しているなぁ。

ΦωΦ